雪国まいたけの創業と成長の歴史、
そして、現在の企業としての取組みや
これからの将来目指す姿を紹介します。

1983-
1993
創業期
—まいたけ業界のパイオニアに
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新潟県南魚沼市に設立
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第1バイオセンター新設
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第2バイオセンター新設
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まいたけの
人工栽培による
大量生産技術開発に
成功まいたけは古くから日本に自生するきのこですが、深い山々を探してもなかなか見つからない希少性の高いきのこです。 1980年当時でも、僅かに市場に流通する天然もののまいたけはとても高価で、まさに幻のきのこでした。
まいたけの希少性と、人工栽培の難しさに着目し、事業化を目指して研究を重ねた結果、まいたけの人工栽培による大量生産技術の開発に成功し、1983年に「株式会社雪国まいたけ」が生まれました。 -
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農産物事業に
立ちはだかる
壁への挑戦現在の新潟県南魚沼市に生産工場を建設し事業を開始しました。創業当時の従業員数は10人程度で、当初は1日350kgの生産量でしたが、まいたけの高い需要に応え増産を重ね、参入障壁の高さなどもあり事業は順調に拡大していきました。
さらに、まいたけ一種類だけの商品でビジネスを大きく成長させるために、他社が追随できない圧倒的な生産技術の確立や、独自の直販ルートの構築などへの挑戦を開始しました。 -
パイオニアとしての
地位を確立圧倒的な生産技術を確立するため研究開発部門を新設し、原料や栽培技術の組み合わせによるまいたけの生育状態の研究を開始しました。そこでは、商品力を高める上で避けられない品質レベルの向上や、収穫1株の重量を高めることでの生産効率向上に挑戦しました。
研究で培った商品力と営業努力により、関東の大手小売店との直接流通を開始し6次産業化を構築したことで、まいたけ事業における一人勝ち状態を作り出すことに成功しました。
1994-
2001
成長期
—まいたけ業界の1強、そして上場へ
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新潟証券取引所に上場
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新本社及び本社パッケージセンターを新築移転
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第3バイオセンター新設
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五泉バイオセンター新設
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東京証券取引所市場第2部に上場
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事業規模の
さらなる拡大に
向けて上場高い品質と安定的な供給を実現させるためには多大な初期投資が必要であり、大手資本の参入阻止のためにも先行投資が必要でした。より大きな会社となることが地域の発展にもつながるという想いもあり、株式公開に舵を取りました。
1994年、新潟証券取引所地域産業育成部に上場。新潟の小さな街で営んでいる会社が上場したということで、取引関係者からの多大なる祝福を受け、社内も活気がみなぎっていました。 -
急成長を支えた
独占的な
マーケットシェアの
獲得とブランディング株式公開を機に、生産量をさらに増大しました。創業時の日産350kgからおよそ100倍まで生産量は拡大。また広告塔として新本社ビルを建設し、優秀な人材が集まるようになりました。
まいたけの圧倒的な供給力と直販ルートの確立も奏功し、独占的なマーケットシェアを獲得しました。また、大手資本や異業種の企業がアグリビジネスの一環として参入してきましたが、戦略的に市場への流通量を増やし参入を阻止しつつ、さらにメディアでの紹介や有名人を起用したCMなどの大規模な販促キャンペーンを展開することで認知度を高め、ブランド力を強化していきました。
戦略は見事に的中し業績も拡大するなど、まさにきのこ業界のリーディングカンパニーになりつつある時期でした。
2001-
2009
拡大期
—事業拡大への転機
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塩沢バイオセンター新設
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中国でのえのきだけ生産を開始
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五泉バイオセンターでぶなしめじの生産開始
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第4バイオセンター新設、エリンギの生産開始
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第5バイオセンター新設
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アメリカ進出のためYUKIGUNI MAITAKE Corporation of Americaを設立
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中国でのエリンギ生産を開始
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カット野菜の製造開始
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「食品総合企業」を
目指した多角化2000年に他企業がまいたけ事業に参入したことをきっかけに、当社も多角化に乗り出します。エリンギやぶなしめじなど、まいたけ以外のきのこの生産・販売を開始し、商品ラインナップを拡大しました。
さらに、きのこ以外への展開として、モヤシの生産拠点を新設し「根切りモヤシ」の生産に乗り出し、お笑いタレントを起用したCMが大ヒットしたことで一躍話題になりました。その後は「カット野菜」事業に展開し、茨城県から土地を借り受け農業経営にも進出するなど、「食品総合企業」に向かって着々と事業の多角化を展開していきました。 -
グローバル化への
展開と利益の追求事業は国内に留まらず、中国でのえのきやエリンギの生産・販売も開始します。短期間のうちに中国国内において3つの生産拠点を次々に建設しました。また、アメリカ進出のために現地法人を設置するなど、グローバル化を積極的に推進しました。
その結果、売上高は伸びる一方で、利益は長期間に亘り低迷していました。
その後の生産効率改善によるコスト低減や、商品価値訴求による売り上げ拡大の効果もあって、2010年3月期にようやく前年を大きく上回る増収増益を達成します。
会社では更なる利益改善に向けて、新菌によるぶなしめじ新商品開発がスタートしました。
2010-
2017
転換期
—混乱から再生へ
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滋賀パッケージセンター新設
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2011年度、2012年度の2期連続赤字
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内部告発により不適切会計が判明
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不適切会計の責任を取り創業社長が退任
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ベインキャピタルグループによる公開株式買付けと上場廃止
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経営資源の選択と集中、ガバナンス強化、企業風土の改革
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転落と混乱
2010年より、ぶなしめじ事業の利益改善を目的にスタートした新菌への切り替えでしたが、生産が安定せず売上は減少し製造コストは増加する結果となり、その後2期連続赤字という大きな損失をもたらしました。
数年に亘る品質改善の結果、ぶなしめじ事業はようやく一定品質の商品を安定的に供給できるようになりました。そんな矢先に不適切会計が発覚しました。
調査の結果、主な原因は強すぎたリーダーシップ、業績を絶対に落とせないプレッシャー、コーポレートガバナンスの機能不全でした。そして2013年、不適切会計の責任を取る形で創業者は代表取締役社長を退任。安定的なガバナンス体制の構築が急務であると新社長が立て直しを図りますが、旧経営サイドとの対立により2014年の株主総会で退任します。
その後、旧経営サイドの意向で入社した鈴木克郎氏ら新経営陣は、会社の実態を把握したうえで独自に会社を再建するスタンスを取るようになっていきました。 -
信念の経営
新経営陣は、中長期的に当社が持続的な企業価値向上を実現させていくためにも、当社の資本を再構成して非上場化し、また機動的かつ柔軟な意思決定を可能とする安定した新しい経営体制を構築する必要があると考え、2015年にベインキャピタルグループが当社の株式の公開買付けを実施することが決定しました。公開買付け終了後、当社はベインキャピタルグループの事実上の完全子会社となり、東京証券取引所市場第二部への上場が廃止となりました。ベインキャピタルグループからも取締役として人材が加わり、再生するための新体制が確立しました。
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再生へ
新体制となった経営陣は主力事業であったまいたけの品種の⼊れ替えに着手しました。それまで栽培していた品種は味は良いものの、冬場は⽣産⼒が落ちるという弱点があったため、安定的な⽣産が⾒込め、なおかつ食感の良さからこれまでプレミアム商品として僅かに販売してきていた⾃社開発菌へと⼀気に切り替えることを決断しました。そして2015年8⽉、まいたけを⽣産していた全⼯場の菌を切り替えました。
しかし、菌が違えば原材料の配合から栽培条件などが異なるため、切替当初は1株当たりの収量が従来の品種を1割近く下回っていました。その打開策が研究部⾨との連携強化でした。創業以来、研究開発部門は社長直轄であったことから、他部門との交流が少ない状態でしたが、2016年4⽉に生産本部の傘下に研究開発部門を置く組織改編を⾏いました。
これを機に、研究開発部門の従業員が栽培施設に頻繁に訪れ、生産部門と⼀緒に話し合う場面が増えたことで、研究開発部門で蓄積されたデータと栽培現場の実情がかみ合いはじめ、「極」の育成ノウハウは急速に蓄積され、従来の品種を上回る収量を確保できるようになりました。また営業部⾨と⽣産部⾨の連携強化にも着⼿し、部署をまたいだプロジェクトチームを次々と⽴上げました。メーカーである当社の生産部門と営業部門が連携したことで、営業側からの消費者ニーズの情報が社内に多く集まるようになりました。その情報を基に当社のまいたけの袋栽培による大株の特徴を活かした商品開発と商品ラインナップの見直しを行ったことで、新たな工場を新設せずに商品の販売点数を大幅に増加させることに成功しました。
さらに、研究開発部門がこれまで蓄積してきたまいたけの健康機能性を商品の強みとして営業活動に結びつけるプロジェクトも発足し、これまでの研究結果を冊⼦に分かりやすくまとめ営業活動を推進していきました。その結果、多くのマスメディアからも注目を集めることとなり、えのきだけなど他のきのこの国内消費が減少傾向にある中で、まいたけの消費⾦額を上昇させることに成功しました。
2016年には足利社長に交代し、鈴木社長、上野副社長が描いたロードマップを踏襲しつつ、新たな取り組みにも挑戦します。
経営資源の選択と集中を図るために、モヤシやカット野菜等の事業を譲渡し、当社が本来ヒト・モノ・カネをかけるべき事業に集中できる体制を作り上げました。また、ガバナンス機能の強化やコンプライアンス研修などを実施し、会社の風土変革への取り組みを推進していきました。
これらの取り組みにより経営の透明性をさらに高め、従業員がそれぞれ⼒を発揮できる場を維持しながら、会社を成⻑させていくことのできる風土を作っていきました。 -

2017- 未来へ
—新たなステージに向かって
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神明ホールディングスグループが資本参加
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M&Aにより瑞穂農林、三蔵農林を子会社化
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東京証券取引所市場第一部に上場
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プレミアムきのこ総合メーカーとしてグローバルな展開と成長を目指す中期経営計画
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飛躍への強力な
パートナー、
そして上場へ2017年、コメ卸最大手の神明ホールディングスグループが「川上から川下までの食のバリューチェーン」構築を目指し当社に出資。
これを機に、これまでまいたけの消費量の少なかった西日本エリア等での販売拡大において神明ホールディングスグループのネットワークを活用するとともに、米ときのこを組み合わせた商品の開発や小売店・外食チェーンでの展開、広域量販店を中心とした両社商品のクロスセル推進といった協働を通じ、企業価値の更なる向上に取り組みを開始しました。
2019年、M&Aによりハタケシメジとホンシメジの栽培技術を有する瑞穂農林の事業を譲り受け、続いて三蔵農林の発行済全株式を取得しマッシュルームを商品ラインナップに加えるなど、事業領域の拡大と成長スピードの加速を図り、2020年に東京証券取引所市場第一部への上場を果たしました。 -
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変わるべきこと、
変わらぬことこれまで当社は様々な経験を重ね、度重なる困難を乗り越え、失敗や反省から多くを学びました。そして一連の改革を通じて会社内の風通しは良くなり、ガバナンスも向上しました。
2021年3月期においては、それまでの中期経営計画の数値目標を達成しましたが、これからの事業環境の変化に的確に対応し、国内市場の需要を創造しながら、プレミアムきのこ総合メーカーとしてグローバルに展開し成長し続けることを目指し、新たな中期経営計画を策定し、その実現に向けて歩みを進めています。
一方で、持続可能な社会の実現のために、変えてはならないものもあります。
本社のある南魚沼には、昔から変わらない雄大な自然と美しい四季があります。春には緑豊かに草木が一斉に芽生え、夏には雪解けの清く済んだ水が流れ、秋には実り豊かに一面が黄金色に染まり、冬には静かな銀世界が全てを包みます。
未来に受け継いて行かなければならないこの豊かな自然と同様に、「きのこを通じて健康社会や豊かな食文化に貢献する」という存在意義はこれからも変えることなく、品質にこだわり良品で社会に貢献していきます。 -